福岡高等裁判所 昭和58年(う)396号 判決 1985年10月18日
主文
原判決を破棄する。
被告人を死刑に処する。
押収してあるビニールロープ一個(切断されたもの、原庁昭和五三年押第三二号の一)及びソフトボール用木製バット一本(同押号の五)をいずれも没収する。
押収してある別表記載の各金品は、同表記載のとおりそれぞれ還付する。
理由
本件各控訴の趣意は、検察官島谷清が差し出した控訴趣意書(検察官大霜兼之作成名義)及び弁護人森田莞一が差し出した控訴趣意書にそれぞれ記載されているとおりであり、検察官の控訴の趣意に対する答弁は、弁護人森田莞一が差し出した答弁書に、弁護人の控訴の趣意に対する答弁は、検察官伊藤厚が差し出した答弁書にそれぞれ記載されているとおりであるから、これらを引用する。
弁護人の控訴趣意一の(一)について<省略>
検察官の控訴趣意について
所論は、要するに、本件は、これこそまさしく、被告人に対し死刑をもつて選択処断するのを相当とする事案であるから、被告人を無期懲役に処した原判決の刑の量定は軽きに失して不当である、というのである。
そこで、記録を精査し、かつ、当審における事実取調べの結果をも検討し、これらに現れている本件各犯行の動機、態様、罪質、結果及び社会的影響並びに被告人の年齢、性格、経歴、境遇及び右各犯行後における態度など量刑の資料となるべき諸般の情状、すなわち、
1被告人は、昭和一九年三月三〇日、その肩書本籍地で、陶器生地成型工をしていた村竹常雄及びその妻カヲの長男として出生し、地元の長崎県東彼杵郡波佐見町内の小、中学校を卒業して、長崎県立佐世保商業高等学校に進学し、昭和三七年三月、同高等学校を卒業し、佐世保市内の文具店に約二年半勤務した後、将来陶器販売業を営みたいと考え、地元の右波佐見町内や佐賀県西松浦郡有田町内にある陶器販売店に勤務して、陶器販売の仕事を覚え、昭和四二年一月一日、右本籍地において、「村竹陶苑」の商号で陶器販売業を開業し、同年二月一六日、小、中学校時代の同級生で、中学校時代の教師の娘である古賀祥子(昭和一八年一一月一六日生)と婚姻して、同女との間に長女千夏(昭和四三年五月二七日生)及び長男史紀(昭和四五年二月三日生)をもうけ昭和四八年ころ、肩書住居地に住居と倉庫兼事務所を新築して、そこに移転し、その後、前記父、弟秀利、同隆之らの協力を得て、着実にその業績を延ばし、昭和四九年ころには、東京都中央区内に出張所を設けて、右秀利をその出張所長として常駐させ、昭和五二年ころには、年商額一億円を超えるに至つたが、その資金繰りについては、取引銀行からの借入金も多く、受取手形の割引を受けて、その金員を決済資金に当てるなど余裕のある状態ではなかつたところ、昭和五二年八月ころ、東京都内にある株式会社トラヤ商会の社員と自称する安達牧夫らから、取込詐欺の方法によつて、価格合計約二四〇〇万円に相当する商品を騙取され、同人らから右商品代金として受け取り、割引のため又は貸金債務担保のため金融機関に裏書譲渡していた約束手形を買い戻さなければならなくなつた結果、これを契機として経営は危機にひんするに至つたこと、ところで、被告人は、前記のとおり佐世保市内の文具店に勤務していたころ、諸(一九四一年一〇月一六日生)を遊び友達として知り合い、右文具店退職後、同人との交友も途絶えていたが、前記の住居と倉庫兼事務所新築の直後ころ、諸の訪問を受け、同人が、鋼板等の販売をその営業の目的とする株式会社諸原商会の代表取締役に就任していることを知つて、同人と親しく交際するようになり、同人が、パチンコ店の経営にも手を広げた後、同人の勧めにより、同人から同人経営のパチンコ店を買い取り、その経営をしてみたものの、半年ほどで行き詰り、同人に同店を買い戻してもらつたこともあつて、同人との仲はますます進展し、同人とは事業資金を融通し合うまでの間柄になつていたものであるところ、前記のとおり取込詐欺による被害に遭つたので、諸に対し、右事情を話して、資金の援助を求めたところ、同人から、必ず援助をすると約束してもらえたので、これを期待して、苦境を凌いでいたが、同人からの資金援助は容易に実現せず、資金繰りはますますひつ迫し、同人の求めに応じ、同人から資金援助を得るため、同人に対して二五〇万円の事業資金を用立てはしたものの、やがては約二〇〇〇万円の事業資金を必要とする事態(その時期は、同年三月末から同年四月にかけて、)に迫られ、自らは、経理面を一人で掌握し、経営の実態を祥子や親兄弟にも話したことはなく、商品の仕入れ先である地元の陶器製造業者には、支払を遅らせることなく過して来て、しかも、外国製自動車を乗り回し、ゴルフにもしばしば出かけるなど、外部には、前記村竹陶苑の経営が順調に行つているように振舞つてきた手前もあつて、他に援助を求めることもできず、諸のみを頼りとして、同人に対し、二〇〇〇万円の援助を依頼し、更に、同年三月中旬ころには、同人に対し、とりあえず一〇〇〇万円の援助を依頼して、同人から、同月二〇日までに一〇〇〇万円を都合することを約束してもらい、これに期待をかけていた矢先、同人から、同人が新たに開店しようと計画していたパチンコ店の用地と当時同人の交際していた小原(昭和二七年一二月二八日生)のためのブティック店用の店舗を探すことを依頼されたので、諸から資金援助を受けられるという期待感から、同人の意を受けて、心当りを物色したこと、ちなみに、被告人と諸との間の事業資金の貸し借りは、本件各犯行時において、被告人の三二八万円貸越しとなつていたこと、そして、被告人は、それよりさきの昭和五一年八月二三日、北松農業協同組合との間において、自己を被共済者とし、祥子を死亡共済金受取人とする死亡共済金四五〇〇万円の養老生命共済契約を締結するとともに、被共済者を祥子、死亡共済金受取人を被告人、死亡共済金額を一五〇〇万円、災害死亡共済金額を三〇〇〇万円とそれぞれする養老生命共済契約を締結していたが、昭和五三年三月一三日ころ、商品販売のため、右組合事務所に出向いた際、同組合の担当者から勧められて、商品販売を容易にすることにはなるし、掛金が少額ですむ、祥子を被共済者とする養老生命共済契約の共済金額を増額した方がとくであると考え、同月一七日、同組合との間において、被共済者を祥子、死亡共済金受取人を被告人、死亡共済金額を三〇〇〇万円、災害死亡共済金額を五九〇〇万円とそれぞれする養老生命共済契約を契約したこと、
2被告人は、同月二〇日午前一〇時三〇分ころ、諸が前記一〇〇〇万円を用意しているものと期待して、佐世保市内にある諸経営のパチンコ店朝日会館事務所に赴き、同店の売上げ金の計算を手伝うなどした後、同日正午ころ、諸に対し、右の一〇〇〇万円の資金援助の話を持ち出したところ、予期に反して、同人から、右の資金援助を断わられたばかりか、前記村竹陶苑に対する経営手腕まで批難されたため、それまで信頼して親しく交際して来た親友には裏切られ、右村竹陶苑の倒産は必至であると思い、悔しさと憎しみが高じて、諸に対する殺意が芽生え、前記のとおり諸がパチンコ店用地を求めているのを利用し、同人を自宅に誘い出して殺害しようと考え、同人に対し、右土地についてその地主と話合いができていると嘘を言い、直接同地主と会つて事を決めるよう申し向けたうえ、それを真実らしく装うために、五〇万円か一〇〇万円の金員(手付金等の意)を用意し、酒でも持つて行つた方がよいだろうと申し添え、それを信じた諸と、翌同月二一日に右地主と会うことを約束したが、その日(三月二〇日)の午後は、自己が諸に対して殺意を持つていることを同人に覚られないよう平静を装いながら、諸の言うままに、同人と競輪場に付き合つたり、小原のアパートまで同行したりして過し、翌同月二一日、当日は右村竹陶苑の休業日で、その従業員の出勤もなく、被告人らの前記長女、長男も、前夜から被告人の父親のところに外泊していたため、祥子と二人で遅い朝食を取つた後、諸から電話がかかつて来るのを待つていたところ、同日午前一一時四〇分ころ、同人から、午後二時三〇分ころに行くという電話があつたので、祥子が自宅に居たのでは、諸殺害の邪魔になると思い、祥子に美容院に行くことを勧め、同女を佐世保市内まで送つて直ちに帰宅した後、諸殺害の方法を考え、口実を設けて同人に電話をかけさせ、そのすきに、同人の首をロープで絞めることにして、前記倉庫内にあつたビニールロープを約二メートルの長さに四、五本切り、その二本を自宅作業場内の作業台に置いて、諸の来訪を待ち受けているうち、同人から、午後六時ころになるという電話があつたので、祥子が早く帰宅しては困ると考え、同女に対し、迎えに行くまで待つように伝え、男性である諸殺害の効果的用具を再考して、ソフトボール用の木製バット一本を購入し、諸を適当な場所に連れ出して同人を殺害しても悪くはないという気になり、自動車を長崎県東彼杵郡川棚町方面に走らせて、殺害の格好な場所を探し回り、その場所を決めるに至らないまま、同日午後五時過ぎころ、帰宅し、同日午後六時ころ、前記朝日会館に電話をかけたが、諸が家族連れで食事に出かけているということであつたので、夜になれば祥子らも在宅し、諸を殺害することができないのではないかと考えて、一旦は当日の諸殺害を断念し、祥子にはタクシーで帰宅するように伝え、自らは父の家で夕食を取つていたところ、帰宅した祥子から、諸が午後八時ころ来るという電話連絡があつたので、間もなく帰宅したこと、被告人は、自宅で、ほどなく訪れた諸から、パチンコ店用地を見に行きたいと言い出され、その日のうちに諸殺害を実行すべきかどうか迷つたものの、一応、同人を、かねて目に留めていた右川棚町百津郷字数石五九番一ほか二筆の空地(被告人は、その所有者がなにびとであるかを知らなかつた。)まで案内することにして、自宅の外に出たが、諸には連れの小原がいたことを知り、小原がいたのでは、諸を殺害するのに都合が悪いと思いながらも、前記木製バットを載せた、自己所有の軽貨物自動車を運転し、小原同乗の外国製自動車を運転する諸を先導して、右川棚町に向い、途中、諸が酒屋の前で車を止め、清酒二本を購入して被告人に手渡したのを受け取つて、これを右軽貨物自動車内に搭載し、前記空地に到着したところ、諸が、同空地を見て、パチンコ店を出すのに良い場所であると言つて喜び、被告人に対し、土地所有者のところに案内するよう迫つたので、諸が、被告人の資金援助の依頼を拒絶していながら、多額の資金を必要とするパチンコ店の新設や小原のための前記ブティック店の開店にうつつを抜かすなど、自己の事業拡大には熱心であることに、怒りと憎しみの情を抑えることができなくなり、この機会に、諸を、前記パチンコ店用地所有者のところへ案内するように装い、人気のない適当な場所に誘い込んで、殺害し、その発覚を防ぐため、諸の連れである小原をも、右と同様の方法で殺害し、それらの犯行をいずれも同一強盗犯人の仕業のように見せ掛けるため、諸と小原の両名からそれぞれの所持金品を奪取しようと決意するに至つたこと、そこで、被告人は、諸と小原の両名に対し、右パチンコ店用地所有者のところに案内すると称して、前記軽貨物自動車を運転し、小原が同乗し、諸の運転する前記外国製自動車を先導して前記空地から約五五〇メートル北方に進んだ地点で自車を止め、諸に対し、これから先は道が細く外車は通れないという口実を設けて、同人を自車に移乗させ、小原を右外国製自動車に残して、同地点から更に約七〇〇メートルほど山中に入つた三差路のところまで進行し、諸に対し、これから先は歩かなければならないと告げて同人を下車させ、数メートル離れた人の輪郭がどうにか分かる程度の暗い農道を、前記のバットと酒瓶を手に抱くように持つて、諸と並んで歩き、約五〇メートル進んだところで、同バットを右手に持ち替え、同酒瓶を左手に持つたまま、諸を一、二歩先にやつて、同人の頭部を同バットで力一杯殴打し、右酒瓶をその場に置いて、被告人の右一撃によりうつ伏せに倒れていた諸の頭部や顔面等の上半身を、右バットで力一杯乱打したうえ、まだ生きているように思われた同人の息の根を止めるため、同人の腰の辺りのベルトを強く引き取り、そのためにちぎれた同ベルトの一片を同人の頸部に巻いてこれを強く絞めつけ、そのころ、頭蓋骨骨折、硬膜下出血、くも膜下出血及び脳挫傷の傷害により瀕死の状態にあつた同人を絞頸により死亡させて殺害した後、同人の身体をその付近の農道右脇の一段低くなつた畑に落とし、右のベルト、バット及び酒瓶を持つて、前記軽貨物自動車を止めてあるところに引き返し、右酒瓶を同自動車の荷台に載せ、同車の運転席の小物入れにあつたタオルで自己の手と右バットについていた血を拭きとり、そのタオルを同小物入れに置いて、右ベルトを付近の木の根元辺りに隠し、右自動車を運転して、小原の待つているところに戻り、前記外国製自動車の中で待つていた小原に対し、諸が呼んでいる旨告げ、セカンドバッグを手にした小原を右軽貨物自動車に乗車させて、同人を前記の諸を下車させた地点まで連れて行き、そこから歩いて、前記農道の方へ向つたものの、もともと小原に対しては別に恨みがあるわけではなく、小原殺害の切つ掛けをつかめないまま、前記の諸を殴打した場所を通り過ぎて、更に十数メートル先に行つてしまつたので、これ以上逡巡すれば、小原殺害の機会を失うと思つて、覚悟を決め、同人を先に歩かせて、その後方から同人の頭部を前記バットで思い切り強打し、そのためその場にうつ伏せに倒れた同人の頭部や顔面等を、引き続き右バットで力一杯乱打したうえ、同人の肩付近をつかんで、同人を前記の諸を殴打した地点まで引きずつて行つたところ、小原の身体が動いていたので、同人にとどめをさすため、同人の着用していた上衣のベルトをはずし、これを同人の頸部に巻き付けて絞めようとしたが、自己の手や右ベルトに付着した血のせいで手がすべり、力を入れることができなかつたため、更に、小原の着用していたジーパンのベルトを取りはずし、これを小原の頸部に巻いて強く絞めつけ、同人の動きが完全に止つてから、前記の諸の身体を落とした場所に小原の身体をも落とし、そのころ、頭蓋骨骨折、くも膜下出血、脳挫傷により瀕死の状態にあつた小原を、絞頸により死亡させて殺害したこと、諸と小原の各死体の状態は、それぞれの頭部や顔面等がいずれも血と泥にまみれ、これらを見る者をして目を覆わしめるほど淒滲なものであつたこと、被告人は、以上のとおりにして、諸と小原の両名をそれぞれ殺害した後、前記目ろみどおり、右両名が同一強盗犯人に襲われたように見せ掛けるため、前記の諸と小原の両名の各身体を落とした畑に下り、まず、諸の着用していた上着やズボンの各ポケット内に手を差し入れて所持品をさぐり、その上着の胸ポケットからショートホープ(たばこ)一箱を抜き取つた(但し、この点は、訴因中にない。)だけで、同人の所持金品についての物色を終え、次に、小原に対しては、前記のとおり同人がセカンドバッグを所持していたことから、金目のものはその中にあると考え、同人に第一撃を加えた前記地点まで行つて、右セカンドバッグを探し出し、これを持つて、前記絞頸地点に引き返し、諸の頸部に巻かれていたベルトとか、小原の着用していた上衣やジーパンの各ベルトとかなどの右各犯行の証拠となるような物を拾い集めて、これらを前記軽貨物自動車に載せ、自己の手や右バットに付いていた血をタオルで拭き、同バットをも右自動車に載せ、同車を運転して、前記川棚町方面に迂回し、途中、右ベルトや前記清酒(二本)などを、右各犯行の発見を防ぐために、各所に分けて投棄し、自己の手と右のバットやタオルを池で洗い、前記セカンドバッグを開けて見て、その中に一〇万円を超える現金(後に、被告人の支出した金額及び所持金から計算した結果、一三万五〇〇〇円あつたことが判明した。)があるのを見つけ、棄てるのはもつたいないという思いから、これを抜き取つて、自己の着用していたズボンのポケット内にしまい込み、右バッグの中にあつたキー付きキーホルダーをも取り出し、同バッグに石ころを詰めて、これを池に投棄することを考えたが、そのバッグの口が閉まらなかつたため、そのままこれを自宅まで持ち帰り、同日午後一一時ころ、自宅のふろ場で、血液の付着した前記ズボン等の着用衣類を脱いで、これらを同所洗濯機の横に押し込み、入浴後、前記木製バットを自宅作業場内展示室の天井裏に隠し、前記セカンドバッグを自宅台所窓下のガスボンベ横に隠し、前記奪取金を自己の所持金と共に自宅ベッドの引き出しに入れて、床に就いたこと、
3被告人は、右のとおり床に就きはしたものの、諸と小原の両名を殺害した興奮と前記村竹陶苑の倒産が避けられないという破滅感、更には、右各犯行発覚の不安感から寝付かれないまま、あれこれ思い悩んでいるうちいつそのこと、祥子を殺害して、自らの身体をも傷つけ、諸、小原、祥子、自己の四名が同一強盗犯人に襲われたように見せ掛けて、捜査の手が自己に及ぶのを免れるとともに、祥子を被共済者とする前記養老生命共済契約の死亡共済金受取人としてその共済金を入手し、同金員で前記村竹陶苑を経済的に立て直そうと思い立ち、翌同月二二日午前六時三〇分ころ、いつもより早く起床して、前記長女、長男を起こし(被告人は、通常、子供達が学校に出かけた後に起床し、これまでに子供達を起こしたようなことはなかつた。)、同人らに朝食を取らせ、同人らを学校に送り出した後、自らはみそ汁を少し飲んだだけの朝食を済ませ、同日午前八時三〇分ころ、すでに前記村竹陶苑に出勤していた従業員の古川慶幸に対し、所用を言い付けて、同人を外出させ、前記弟隆之の妻で、右村竹陶苑で働いていた村竹純子には、本日は休業するので出勤しないよう電話連絡をしたうえ、自宅作業場から、前記の約二メートルの長さのビニールロープ一本を持ち出して、これを自己の着用していたズボンのポケット内にまるめて入れ、十年以上連れ添つてきた祥子を殺害することにはさすがにためらいを感じはしたけれども、ぐずぐずしていると前記古川が戻つて来ると思い、意を決して、祥子のいる自宅子供部屋に向い、同部屋から出て来た祥子とすれ違つてやり過すや、振り向きざまに、前記ロープを取り出し、祥子の背後から同女の頸部に右ロープを巻いてこれを絞めつけ、同女が苦しそうに声を出して、被告人と共に後方に倒れても、横倒しの状態のままで、横になつた祥子の背後から、両手で、右ロープを力一杯絞めつけ、同女が、苦しまぎれに手足をばたつかせ、苦しい息の中から声を出してもがいても、同女の腹部を右手拳で力一杯殴打して、同女の動きを止め、引続き右ロープで同女の頸部を強く絞めつけたうえ、同女が息を吹き返すことのないように、同ロープを固結びにし、そのころ、同女を絞頸により死亡させて殺害したが、同女の死体の状態は、顔面にうつ血があり、鼻から血を吐いていて、見る者の目をそむけさせるものがあつたこと、そして、被告人は、祥子殺害後、前記目ろみどおり、諸と小原の両名をそれぞれ殺害した際自己が着用していた衣類や奪つて来た前記セカンドバッグなどを処分することにし、自宅ふろ場の洗濯機横に置いた前記のズボン等の衣類を持ち出して、これらを自宅裏の焼却場に運び、自宅ガスボンベ横に隠した右セカンドバッグを自宅作業場裏のがらくた置場に移し、前記キーホルダーからキーを引きちぎつて、そのキー(約一〇個)を自宅裏山に投棄して、同キーホルダーを右焼却場の石の下に隠し、同焼却場に運んだ右ズボン等の衣類を焼却し、前夜の各犯行時に履いていた男物皮短靴に小石を入れて、これを自宅の便槽に捨て、そのころ、前記古川が戻つて来たので、再び同人に口実を設けて、同人を外出させ、その後、預金の勧誘に訪れた東彼杵農業協同組合の職員に対し、前記セカンドバッグから抜き取つた現金一三万五〇〇〇円を含む現金六〇万円位を取り出して、その中から五万円を預金として渡し、急ぎの用があるからと申し向けて、同職員に早く帰つてもらい、次に訪れた知人に対しては、同人から貸金返済の請求を受けて、右の約六〇万円の残金の中から二五万円を支払つて、同人に早く帰つてもらい、続いて訪れた知人に対しては、同人の銀行融資の保証人となることの依頼に即座に承諾の返事を与えて、同人に早く退去してもらい、前記軽貨物自動車に付着していると思われた諸や小原の血液あるいは指紋を消すために、右自動車を前記倉庫内に入れ、その運転席に新聞紙を入れて、これに点火し(しかし、座席付近を焦がしたのみで、燃え上がらなかつた。)、前記目ろみどおり、自宅台所にあつた包丁で自己の額をたたくようにして数か所切りつけ、約二メートルの長さに切つておいた前記ロープのうちの二本を取つて、その一本を自己の首に巻きつけ、前記事務所社長室内のロッカーを開けて、小切手帳などを同室内の机の上に散乱させ、ビールの空びんで自己の頭部を殴打し、残りの右ロープで自己の手足を縛り、同室内の机の角に自己の頭をぶつつけるなどして外傷(後に川棚病院に収容されて受けた診断の結果によると、被告人には、血腫を伴う頭頂部打撲傷、深さ一ないし二ミリメートルの真皮内にとどまる前額部切創及び頸部前胸部挫傷などがあつた。)を作り出し、前記古川が戻つて来るや、右社長室の床に横になつて、うめき声を発し、それに気づいた右古川から、「社長」と呼びかけられても、うめき声を出し続け、右古川から知らせを受けてかけつけた中尾孝介から「どうした、誰にやられたか、しつかりしろ」と声をかけられたのに対しても、「ふく面、ビールびん、金ばやられた」などと途切れ途切れに応答するなど、あたかも強盗に襲われたかのような迫真の演技をして、同人らをそのように思い込ませ、同人らの手配によつて到着した救急車によつて、前記川棚町にある国立療養所川棚病院に収容され、司法警察職員から事情聴取を受けるや、強盗に襲われたように虚偽の申告をしたこと、
4被害者諸は、一九四一年一〇月六日生まれの男性(五人兄弟の二男)であつて、一〇歳のころ、父を失つたため、その後は、母の手で養育され、昭和四〇年、宋末今(一九四三年生)と婚姻し、同女との間に長男康成(一九六九年生)、二男智成(一九七〇年生)の二児をもうけたこと、諸は、昭和四七年ころ、鋼板関係の販売等をその営業の目的とする株式会社諸原商会を設立し、その代表取締役に就任して、兄の諸時男とともにその経営に当る一方、パチンコ店の個人経営にも手を拡げ、本件被害当時、大村市内及び佐世保市内でパチンコ店を経営し、それらの経営はおおむね順調であつたこと、諸は、もともと、健全な心身の持主であり、一家の支柱として、はたまた、一族の中心として、働き盛りにあつたのを、被告人により、人生半ばにして、生命を断たれ、その無念さには計り知れないものがあつたであろうこと、諸の母諸原栄子こと崔爲善(一九一五年生)は、その夫に先立たれ、女手一つで育て上げたわが子諸の生命を無残に奪われたその無念さには言葉に尽せないものがあり、諸の右妻も、十数年連れ添つた夫の生命を奪われ、二人の子供をかかえて、悲嘆に暮れていること、そして、諸の右母及び妻は、いずれも、諸の死後約六年を経過した当審における同人らに対する各証人尋問時においても、被告人に対する極刑を望んでいること、
5小原は、昭和二七年一二月一八日生まれの女性であるところ、昭和三二年ころ、両親が離婚したため、母小原玉枝(昭和六年生)及び昭和三五年ころ同女と内縁関係に入つた小原正己によつて養育され(昭和四九年、母と右正己とが婚姻し、同人と養子縁組を結んだ。)、昭和四八年、山崎公三と婚姻し、同年一二月二日、同人との間に長男大をもうけたが、昭和五〇年ころ、同長男の親権者を右山崎と定めて、同人と離婚し、自己の両親のもとに戻つて、化粧品会社に勤めたり、スナックを経営したりした後、昭和五三年一月ころから諸と交際をするようになり、同人から資金を出してもらつて、ブティックの店を出す予定となつていたものであり、それまでの家族運には恵まれなかつたけれども、心身ともに健全で、将来の人生に十分期待できる若さであつたのに、たまたま諸と同行していたために、被告人からいわれなく生命を奪われてしまつたものであつて、その無念さは察するに余りがあること、そして、小原の遺族の悲しみや怒りの情も極めて大であり、右小原玉枝は、当審における同人に対する証人尋問時において、被告人に対する極刑を望んでいること、
6被害者祥子は、昭和一八年一一月一六日生まれで、幼なくして母を失い、教師をしていた父古賀教次とその再婚した妻とによつて養育され、高等学校を卒業して、大阪や東京方面に勤めに出た後、郷里に帰り、昭和四二年、前記のとおり被告人と婚姻して、被告人との間に長男及び長女をもうけ、家事や育児に当るかたわら、前記村竹陶苑の仕事にも精を出し、被告人の父母や兄弟達からも、良く努める嫁として評価を得ていたものであるところ、被告人が、外見を気にし、外車を乗り回したり、ゴルフに行つたりなどして派手にふるまう性格の持主であるのに対し、もともと、地味で、控え目な性格の持主であつたところから、被告人との間に感情の行き違いがなかつたわけではないけれども、前記の北松農業協同組合との間の養老生命共済追加契約の際も、これに反対することなく、被共済者として医師による健康診断を受けて、これに協力し、被告人の事業経営に貢献しようと努めていたものであり、死亡当時、慢性肝炎を患つていた(死体解剖の結果判明したもの)ものの、日常生活を支障なく送つていたものであつて、被告人の事業欲のため、三四歳という人生の半ばで、十年余り連れ添い、二児までもうけた夫から、無残にも生命を奪われた、その無念さは察するに余りがあること、また、かつての教え子である被告人を信頼して、娘の後半生を託した、祥子の父の無念さも察するに余りがあり、自己の孫でもある被告人の子供らを、娘を殺した犯人の子として見なければならない右父の屈折した心情は容易に解消できるものではないであろうこと、そして、敬愛すべき父親によつて実の母の生命を奪われた前記長女、長男らの受けた精神的な衝撃の大きさも筆舌に尽せないものがあること、
7以上の各死亡被害者の遺族に対する慰謝としては、被告人の父から、小原の母に対し、一〇〇万円が交付され(小原の母としては、示談金として受領することを拒否して、預つたものであるということである。)、昭和五四年の暮から原判決言渡しのころまでの間の毎年盆と暮に各一万円程度及び原判決言渡し後の昭和五八年の暮に一〇万円が支払われたほかには、慰謝の方途は講じられていないこと、
8被告人は、前記のとおりの経歴を有する者で、少数の交通違反歴を有するほかには、前科前歴はなく、性格的には、自己中心的で、見栄つ張りな面がある反面、きちようめんなところもあり、ごく一般の町民であるところ、原審公判中から自己の犯した罪の深さを自覚し、後悔の念を深くしていること、
に徴すると、被告人は、前科を有せず、普通の町民として陶器販売業を営んでいたものではあるが、それにしても、いかに右営業が危機にひんし、諸がつれなかつたとはいえ、余りにも自己中心的な物の考え方から、それまで親しく交際を続けてきた諸を、執拗かつ残酷な方法で計画的に殺害し、引続き、右犯行の発覚を防ぐため、事もあろうに、諸の連れに過ぎなかつた小原までをも、多少のためらいがあつたにせよ、同じく執拗かつ残酷な方法で殺害し、事前の目ろみどおり、諸と小原の両名が同一強盗犯人によつて殺害されたように見せ掛けるため、諸の着衣の中を物色し、小原の所持していた、現金等在中のセカンドバッグを強取して、右各犯行に対する偽装工作を施すとともに、同各犯行の証拠物件を各所に分散投棄したりなどして、それらの犯跡の隠ぺい工作をした後、今度は、自己の利益のため、二児の母親で、自己と一〇年以上も連れ添つてきた妻の祥子を殺害して、自己の身体をも傷つけ、諸、小原、祥子、それに自己の全員が同一強盗犯人に襲われたように見せ掛けて捜査の手から免れるとともに、祥子を被共済者とする養老生命共済契約の死亡共済金を入手して、自己の営業を立て直そうという気になり、その翌日、祥子までをも、多少のためらいがあつたにせよ、これまた冷酷かつ無残な方法で殺害し、右目ろみどおり、以上の各犯行の証拠物件を焼却したり、投棄したりなどして、右各犯跡の隠ぺい工作を講じるとともに、自傷行為をし、室内を散乱させたり、自己の身体をロープで縛つたりなどして、右各犯行に対する偽装工作を施し、そのため、諸、小原、祥子の三名に対し死んでも死にきれない苦しみを与えるとともに、浮かばれない同人らの遺族に対しても忘れようとして忘れることのできない深い心の傷跡を残させたというものであつて、これらによると、たとえ被告人の父親が小原の遺族に対し多少なりとも慰謝の方途を講じ、被告人自身が現在本件各犯行に及んだことを悔やんでいるとはいえ、本件は、もはや通常人の域をはるかに越えた酷悪非道な者が短期間内に敢行した、いわれのない動機による人間三名連続惨殺の凶悪極まる事案であるといわなければならないから、被告人に対しては極刑をもつて臨むしかないものと考えられ、従つて、被告人を無期懲役に処した原判決の量定は軽きに失して不当であり、原判決は破棄を免れない。論旨は理由がある。
それで、刑事訴訟法三九七条一項、三八一条により原判決を破棄し、同法四〇〇条但書に従い、更につぎのとおり判決する。
原判決の認定した罪となるべき事実に法令を適用すると、被告人の原判示第一の諸及び小原に対する各所為はいずれも刑法二四〇条後段に、原判示第二の所為は同法一九九条にそれぞれ該当するところ、前示情状により、各所定刑中、原判示第一の各罪についてはいずれも死刑を、原判示第二の罪については無期懲役刑をそれぞれ選択し、以上は刑法四五条前段の併合罪であるから、同法四六条一項本文、一〇条により刑及び犯情の最も重い原判示第一の小原に対する強盗殺人の罪の刑で処断し、他の刑を科さないこととして、被告人を死刑に処し、押収してあるビニールロープ一個(原庁昭和五三年押第三二号の一)は原判示第二の殺人の用に供した物であり、同じくソフトボール用木製バット一本(同押号の五)は原判示第一の各強盗殺人の用に供した物であつて、いずれも犯人以外の者に属しないから、同法一九条一項二号、二項、四六条一項但書を適用して、これらをいずれも没収し、押収してある別表記載の各物件は、いずれも、原判示第一の小原に対する罪の賍物であつて、被害者に還付すべき理由が明らかであるから、刑事訴訟法三四七条一項により、同表記載のとおりそれぞれ還付し、原審及び当審における訴訟費用については、同法一八一条一項但書により、これを被告人に負担させないこととして、主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官桑原宗朝 裁判官泉 博 裁判官濱崎裕は転補のため署名押印することができない。裁判長裁判官桑原宗朝)